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⚫︎岡崎市美術博物館学芸員 田中 裕紀乃さん 2026年6月

 

 

忘れ去られるものたちへ-荒木由香里の美しき墓碑

 

   ―「荒木さん、これは何が載っているのですか?」
  奇妙でありながら目を離せない不思議な魅力を備える作品を前に、筆者は思わず問いかけた。

   ―「山羊の爪です。」

   それは鉱石か、あるいは木片かと推測していた筆者の予想を軽々と裏切る返答だった。山羊の爪という特殊な素材が入手できるという事実にも驚かされるが、それ以上にその素材が荒木由香里の手によって作品へと再構成されていることに再び心を揺さぶられる。このとき、筆者の脳裏にはある詩句が浮かんでいた。

   「解剖台の上のミシンとコウモリ傘の出会いのように美しい」

   19世紀の詩人ロートレアモン伯爵によるこの有名な一節である。本来は無関係なものが、思いもよらぬ場所で出会うときに生じる、奇妙で不気味でありながらも神秘的な美を表現しているこの詩句は、20世紀最大の芸術運動の旗手であるシュルレアリストたちを魅了した。この美学は、彼らが多用した手法である「デペイズマン」と深く結びついている。デペイズマンとは、フランス語で「本来あるべき場所から別の場所へ移すこと」を意味し、ある対象を全く異なる環境に置くことで、見るものに強烈な違和感と新たな意味を生じさせる技法である。ロートレアモン伯爵の詩句は、このデペイズマンの象徴的な例としてしばしば引用される。荒木の作品においても、素材の意外性と配置の転換が、まさにこのデペイズマンの手法を体現している。山羊の爪は彼女が扱う素材のなかでも特殊であるが、彼女が扱うのは、ハイヒール、スプーン、メジャー、ビーズ、おもちゃなど、身の回りにあふれている既製品である。それらは彼女の手にかかると、素材そのものが秘めていた新たな魅力を顕にする。

   荒木の制作手法は、様々な素材を組み合わせて構築し、見慣れているようでいて、どこにも存在しなかった造形を生み出す「アッサンブラージュ」である。彼女は私たちが日常のどこかで目にしている装飾品や日用品を素材として作品に取り込みながら、同時に、見えているのに見落としてしまうもの、気づかずに通り過ぎてしまうものを丁寧に掬い上げ、独自の審美眼で寄せ集め、再構成している。荒木の制作はその研ぎ澄まされた感覚で作品に利用できそうな素材を収集することから始まる。彼女は日常風景に潜む、一瞬の違和感を掴んで離さない。扱う素材が比較的身近なものだからか、持ち込みが舞い込むこともあるという。集まった素材は、彼女のアトリエで出番を待ち構えている。それが1日後なのか、3年後なのか、あるいは5年後なのかは作家自身でさえもわからない。荒木の制作における重要なプロセスのひとつに、プロダクトを「色彩」で選り分ける作業工程がある。ここでは製品に記載された色名や他者が定めた色名に従うという、極力私情を排したフラットな視点が貫かれる。制作活動初期に、好きな赤ばかりを集めた結果、同じ赤ばかりが集まってしまって退屈さを覚えた経験からこの方法を編み出したという。また、自ら着色しないのは、色を塗ってしまえば「どんな日用品でもよくなってしまうから」だという。自ら着色すれば、作品らしくするのに今の方法よりずっとその工程は容易になるだろう。しかし、着色することによって全体的に均一で深みや揺れがなくなってしまう。既製品に均一に着色するという行為は、荒木にとって物質の元来持っているアイデンティティや既製品そのものが宿している物語を剝ぎ取ってしまうことなのかもしれない。

   今回の制作は、タイトルの「惑星、山羊や羽のように佇み」というテーマから出発しているという。特に「山羊」へのこだわりは強く、それは、不安定な木の上にも平気で上ってしまえるほどに重力をものともしない山羊の身体能力に魅了されていること、そして自身が山羊座であることが深く関係しているようだ。荒木が山羊に惹かれる理由の一つには、日常的に重心・バランス・プロポーションに思考を巡らせている点がある。彼女の作品は寄せ集めたプロダクト同士を接着し、天井から宙に浮かせる場合もあれば、展示台の上に安定させておく場合もある。いずれにせよ、どの位置に何を接着し、どの角度で魅せるかを迷いなく決断しながら構築していく必要がある。組み上げる際には、重心を押し上げたり、逆に重心を意識して接着したりと、繊細な判断が求められる。しなやかな身体と卓越したバランス感覚を備えた山羊に惹かれたのは、作品そのものの備えるバランス感覚と構造性の美的な可能性を追求してきた荒木の、ユニークだが必然的なモティーフであったと言えるかもしれない。
  荒木はしばしば作品にハイヒールを用いる。選り分けられた色彩がそのままタイトルになっているものが大半であるが、「鳥とハイヒールに見る形」というタイトルが付いたシリーズも展開している。後者は、鳥のくちばしを思わせる鋭い造形や、羽の拡がりを連想させるフォルムが随所に見られる。ここでは、生き物としての鳥と人工物であるハイヒールが作品となることで緩やかに接続し、鑑賞者の想像力を喚起している。これらのハイヒール・シリーズは彼女の代名詞的な作品群であり、煌びやかで夢想的な印象を持つものが多い。ハイヒールというモティーフがファッションと関連づけやすい素材であるために、荒木の作品はファッションとしばしば結び付けられる。ファッションは実用性を有する応用美術に分類されるのに対し、荒木の作品は鑑賞を主たる目的とする純粋芸術に位置づけられよう。ここに両者の大きな違いがある。ここではファッションと荒木の作品にまつわる表層的な連想ではなく、より本質的な関係性に踏み込みたい。ファッションを構成する最も重要な要素の一つがプロポーションである。洋服は布地、ボタン、チャックなど異なる素材を縫い合わせることで成立し、異質な要素が組み合わさって新たな一着へと生まれ変わる。そしてさらに色彩や形態に従って複数の洋服を選び、組み合わせることで、個々の身体に固有のスタイルが立ち上がる。このファッションにおける組み合わせ・再構成・プロポーションの調整というプロセスは荒木の制作スタイルと深く通底している。素材ひとつひとつに着目してその魅力を最大限に活かしながらも、出来上がった作品や彼女が生み出すインスタレーションは微視的に見た場合と巨視的に見た場合に全く印象が異なる。しかしどちらも洗練された魅力を備えており、そこには荒木の完璧な世界が体現されている。彼女はミクロとマクロの視点を自在に往還しながら、空間と造形を組み立てていく。素材を既存の意味体系から切り離し、新たな意味と価値を創出する彼女の作品は、価値観が刻々と変化する現代の感覚を象徴するものである。荒木がひとたび掬い上げると忘れ去れていたかもしれないものたちは再び輝きをとりもどして新たな道を歩み始める。

   彼女の根源的な制作の欲求には、「生」と「死」という二つの軸があるように思う。その理由は、わたしたちの身の回りに溢れている既製品に対する彼女の敬意と関心、そして自らの手で再構成することによって新たな魅力を創出しようとする制作態度にある。彼女は素材を手元に集める際、それがどこからきて、どんな目的で作られたのか、ということにいつも思いを馳せている。それは製品が彼女の手元に届くまでに辿った歴史を慈しみ、その物語を丁寧に受け止めようという態度である。以前筆者が、作品を通じて何を伝えたいのか、と尋ねた際、彼女はこう語った。

   ―「100年くらい先の人に化石みたいになった私の作品を再発見してもらって、こんなヘンテコなものが世の中にあったのか、と想像を膨らませてくれたら嬉しい。」

   荒木の作品には、私たちが「ガラクタ」と一蹴してしまうような日常の断片が、彼女の手によってアートへと変容し得るという、祈りにも似た可能性が宿っている。彼女によって再発見された物質は、新しい物語が付与され、再生し循環していく。それは物質の価値を変容させ、新たな価値を創出するという意味で資本主義的な社会における明るい側面に寄り添っている。一方で、同時に大量消費社会に対するアンチテーゼでもあると言えるだろう。「ガラクタ」として退けられる製品の多くは、大量消費社会の中で生まれ、流行が過ぎればだれからも必要とされなくなる。荒木が扱う素材のなかには、まさにそうした忘却の淵に沈みかけた素材も多分に含まれている。彼女はそれらに新しい物語を与え、未来へと手渡すのである。私が彼女の作品を「美しき墓碑」と形容したいのは、墓碑は死者の名前や事績を刻み、忘れたくない人のために、その存在の痕跡を未来へと接続する記憶装置として機能するからである。そしてそれは遺された人のために新しい物語を伴って存在し続ける。それは故人を思い出すための記憶装置であると同時に、精神的な支柱としての役割が、荒木の作品と深く共鳴していると感じるのだ。墓碑は、刻まれた意味を新たな文脈の中で読み替えながら、記憶をつなぎ直していく。彼女の作品もまた、忘却の淵に沈みかけたものたちに、別の物語を与え、静かに再生させる。彼女の手によって甦るそれらの断片は、まるで忘れ去られるものたちに捧げられた美しき墓碑のようである。
  荒木の作品における「美」は本質的に両義的な性格を帯びている。前述の通り、彼女の制作における根源的な欲求は「生」と「死」という二つの軸であり、この二つは対立するものではなく、絶えず循環し、反復される関係にある。荒木の作品は、一見すると完結された美的な世界を提示しているが、その制作が同一の手法によって持続的に反復されるという事実は、まるで向かい合わせに置かれた鏡が無限の像を生み出すかのように、終わりのない連鎖=虚構性をも同時に立ち上げる。
  「美しき墓碑」が美であると同時に「死」を想起させる装置であるように、荒木の作品においてもまた、表層的な美の背後には、素材それ自体の実存が横たわっている。むしろ、美を徹底して追求し、それを自己目的化することによってこそ、異質な素材同士が結びつく際の微細な歪みや、そこに生じる根源的な違和感がいっそう鋭く浮かび上がるのである。
  その意味において、荒木の提示する「美しき墓碑」は、既存の美の枠組みそのものに対する批評的視座を内包している。それは、美とは何かという問いを反転させ、その制度や価値体系を静かに撹乱しながら、なおそれを乗り越えようとする試みとして位置づけることができるだろう。

 

 

●岡崎市美術博物館 季刊ニューズレターARCADIA ARTISTALK(アーティストーク。)

​2025年7月

学芸員の田中裕紀乃さんにインタビューしていただいた記事(P4)が掲載されました。

https://www.city.okazaki.lg.jp/museum/publication/p021498.html

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●愛知県美術館学芸員 石崎 尚さん 2024年1月

 

 

煌めくキメラ―荒木由香里のレディ・カラード・スカルプチャー

 個展会場で天井から吊り下げた小さな作品を手に取ると、「ここで吊ってもいいし、こっちの金具につなげてもいい」と、くるりとひっくり返して見せてくれた。その時筆者は、吊り下げる形式での展示が多い荒木由香里の作品の、その浮遊感とも言うべき特質を改めて認識した。作品の天地が変更可能ということは、おそらく様々な向きに回転させながら物体を繋ぎ合わせて、アッサンブラージュが作られていったのだろう。

 一方で、ハイヒールのシリーズに代表されるように、明確に天地が決まっている作品も存在する。靴の造形に寄り添うように、いくつもの細長い柱が導入されて作品の重心を上に押し上げ、結果として中空の多い建築的な構造が生まれている。

冒頭の小品は吊り下げることで、そしてハイヒール作品は重さを支える構造をむき出しにすることで、重力のありさまを鮮やかに可視化する。その点ではどちらの系統も同根の発想と言えるだろうか。素性の異なるモノたちは、荒木の作品に組み込まれることで本来の用途とは異なる第二の生を生きる。

 彼女は普段から作品に使えそうなネタ(身の回りの既成品)を集めていて、近頃では荒木が好みそうな不要品を持ってきてくれる人もいるらしい。こうして集められたモノたちは、それぞれピンクや青などに色分けされてアッサンブラージュに使われることとなる。しかし、その出来上がった作品に、色の統一感といったものは意外なほどない。むしろその外見は、光沢、マットな質感、透過性、光の反射…とちぐはぐな印象を与える。アッサンブラージュだから多種多様なのは当然のこととしても、あえて一つの色でまとめることにより、その素材同士の異質さは強調され、キメラ的な印象はより強化されることになる。

 しかし、だとしても作品の出発点にあるのは、それが何色のものとして分類されているかという色分けの儀式であり、荒木は作品に自ら色を着けるのではなく、商品として流通する物質の色を受動的に分類する役に徹するのだ。今日、雑貨であれ洋服であれ、製品というものは色だけを変えたものを何種類も取り揃えて初めて、商品として流通可能となるようだ。あたかも、ヴァラエティに富んだ色数を揃えて選択肢を増やすことが善であるかのように(しかしそれは本当に選択肢なのか?)。

 荒木の作品をレディ・カラード・スカルプチャー(既に着色された彫刻)と呼びたいのはこうした点においてである。そして、色彩が作品の重要な要件にもかかわらず、作者が行うのは着色ではなく選別であることによって、荒木の作品は色彩の存在論的な問いを発する。かつて作るという行為に対してレディメイドが投げかけた問いを、色とは何かという形式で変奏するのである。

 既成品の色に従うという点で、拾ったプラスチック片を色相に従って並べたトニー・クラッグの作品を思い浮かべる者もあるかもしれない。彼の場合は、プラスチックという最も20世紀的な素材に限定することで、作品がある種の文明批判的な性格を帯びた。荒木の場合は物質がなんであるかを問わず、あらゆるものに同様に色を着けてしまう、21世紀の我々の嗜好を浮かび上がらせる。彼女の仕事は煌びやかな印象を与えるためか、しばしばファッション的ともデザイン的とも捉えられがちだという。だが、むしろその本質は、色に対する現代社会の強迫観念をあぶりし、色という不確かなものに我々が寄せる無意識的な信頼を「漂白」するような機能なのだ。

 

石崎尚(愛知県美術館学芸員)

2024年1月

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荒木由香里 Yukari Araki ///////////////

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